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東京地方裁判所 平成3年(ワ)17459号 判決

亡前原関雄訴訟承継人原告

前原たけ

右訴訟代理人弁護士

山上芳和

水野賢一

被告

いずみファイナンス株式会社

右代表者代表取締役

中川富夫

右訴訟代理人弁護士

高橋正雄

兼松健雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、別紙物件目録記載の各土地及び建物につき、別紙登記目録記載の根抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。

第二事案の概要

一本件は、訴訟承継前の原告前原関雄(以下「関雄」という。)所有の別紙物件目録記載の各土地及び建物(以下「本件不動産」という。)についてされた被告を根抵当権者とする別紙登記目録記載の根抵当権設定登記(以下「本件登記」という。)につき、関雄が、無効の登記であるとして、被告に対し、所有権に基づいて本件登記の抹消手続を求めていたところ、関雄が訴訟係属中に死亡したため、その相続人である前原たけが訴訟手続を承継した事案である。

被告は、関雄の子である前原正次(以下「正次」という。)による有効な代理行為又は表見代理を理由に根抵当権設定契約は有効であると主張して、原告の請求を争っており、右主張の成否が本件の争点である。

二争いのない事実

1  本件不動産は関雄の所有であったところ、関雄は本件訴訟係属中の平成四年五月二一日死亡し、妻である原告前原たけ(以下「原告」という。)が相続によりその地位を承継した。

2  平成元年一二月一九日付をもって、根抵当権者を被告、債務者を株式会社ケーエム・シーガル(以下「ケーエム・シーガル」という。)、根抵当権設定者を関雄とし、極度額を三億六〇〇〇万円、被担保債権の範囲を金銭消費貸借取引・手形債権・小切手債権とする、本件不動産についての根抵当権設定契約証書(〈書証番号略〉)が作成され、被告、ケーエム・シーガル間の同日付金銭消費貸借契約に基づき、三億円が被告からケーエム・シーガルに貸し付けられた。

右根抵当権設定契約証書の根抵当権設定者及び金銭消費貸借契約証書(〈書証番号略〉)の連帯保証人関雄の住所氏名は関雄の子である正次によって書き入れられ、その各名下には関雄の実印が正次によって押捺された。

そして、右根抵当権設定契約に基づいて、本件根抵当権設定登記が経由された。

3  その後、平成二年二月二六日付で、右根抵当権の極度額を四億三二〇〇万円に変更する旨の根抵当権変更契約証書(〈書証番号略〉)が取り交わされるとともに、被告、ケーエム・シーガル間の同日付金銭消費貸借契約に基づき、六〇〇〇万円が被告からケーエム・シーガルに貸し付けられた。

右根抵当権変更契約証書の根抵当権設定者及び金銭消費貸借契約証書(〈書証番号略〉)の連帯保証人関雄の住所氏名は正次によって書き入れられ、その各名下には関雄の実印が正次によって押捺された。

そして、右根抵当権変更契約に基づき、同年三月一日付をもって、本件根抵当権設定登記につき根抵当権変更の付記登記が経由された。

三争点(被告の主張)

1  右根抵当権設定契約及び変更契約(以下、一括して「本件設定契約」という。)は、正次が、あらかじめ関雄から授与されていた代理権に基づき、関雄の代理人として、その署名捺印を代行する形式により、締結したものである。

2  仮に代理権授与の事実が認められないとしても、関雄は、その名義の委任状、実印、印鑑証明書及び本件不動産の登記済権利証を正次に交付することによって、本件設定契約及び本件登記をすることの代理権を与える旨を表示したのであり、これに基づいてされた本件設定契約は有効である。

3  仮に右主張が認められないとしても、次の表見代理が成立する。

(一) 関雄は、昭和六一年七月一五日、巣鴨信用金庫との間の信用金庫取引から生ずる債務を担保するため、本件不動産に同信用金庫を根抵当権者とする極度額六〇〇〇万円の根抵当権を設定するにつき、正次に対し、右根抵当権設定契約及び同設定登記についての代理権を授与し、更に、昭和六二年五月二一日、右根抵当権の極度額を九〇〇〇万円に変更するにつき、その変更契約及び同登記についての代理権を正次に授与した。

(二) 被告は、本件融資に先立ち、本件不動産に右根抵当権設定登記等が経由されていることや、本件融資を斡旋した池袋信用組合の関係者から、関雄が同信用組合設立以来の重要な取引先であり、同信用組合発足当時からの組合員総代でもあるが、既に老齢で長い間入退院を繰り返しており、家業である旅館経営や資産管理の一切を正次に任せて代行させているなどの事情を聴取し、正次本人にも面会して直接確かめ、更に、平成元年一一月末頃関雄の自宅に確認のため電話した際、妻である原告が応答し、「仕事の関係は息子の正次にすべて任せてあるのでよろしくお願いします」旨答えたことなどから、正次に本件設定契約の代理権があると信じたものであり、そのように信じるについて過失がなかった。

4  したがって、いずれにしても本件設定契約及びこれに基づいてされた本件登記は有効であり、被告には抹消登記義務がない。

第三争点に対する判断

一〈書証番号略〉、証人前原正次、同高橋勝弘の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次のような事実が認められる。

1  ケーエム・シーガルは、正次、同人の兄前原弘一(以下「弘一」という。)、関雄、妻たけ(原告)、弘一の妻紀子、鈴木勝也らが発起人となって平成元年八月一日に設立された、不動産の売買、賃貸及びその仲介を主たる目的とする株式会社であり、代表取締役には当初弘一が就任したが、同年一一月一一日には正次も代表取締役に就任した。しかし、その経営の実権は当初から正次にあり、弘一は形式的に代表取締役になったにすぎなかった。

ケーエム・シーガルの本店事務所は、当初後記有限会社千代元の本店所在地と同一の場所に置かれていたが、その後豊島区池袋〈番地略〉に移転した。

2  関雄の家業は旅館経営であり、豊島区西池袋〈番地略〉所在の原告所有名義の土地建物を基盤に、有限会社千代元(代表取締役関雄)を経営主体として、ホテル「千代元」経営していた。

3  関雄は、本件不動産以外にも、豊島区池袋周辺に自有の土地や借地を持っており、右自有地上には「シーガルビル」というテナントビルが、また右借地上には「タケハウス」と称する原告所有のマンションがあり、本件不動産は関雄の自宅とその敷地である。

4  関雄は、明治三二年生まれの老齢で、昭和六二年八月から一〇月までの約二か月間と昭和六三年一二月から平成元年三月までの約二か月間関野病院に入院し、一旦退院した後、同年一〇月九日から死亡するに至るまで同病院に入院した。病名は、第一回目の入院時が急性気管支炎、心筋障害等、第二回目の入院時が慢性気管支炎、慢性老人性腎炎等、脳動脈硬化症等、第三回目の入院時が多発性脳梗塞症、気管支肺炎、老人性痴呆等であった。

5  関雄は、前記のように有限会社千代元の代表取締役として「千代元」の経営に当たっていたが、遅くとも前記入退院を繰り返すようになってからは、その経営一切を正次(専務取締役と呼ばれていた。)に任せ、昭和六一年頃「千代元」の経理処理にコンピュータを導入した時も、その一切を正次が取り仕切った。

そして、関雄が昭和六一年七月一五日本件不動産に巣鴨信用金庫のため極度額六〇〇〇万円の根抵当権を設定して同信用金庫から融資を受けた際には、関雄は右融資手続及び根抵当権設定手続の一切を正次に委任し、正次が、関雄から預かった実印、印鑑証明書、登記済権利証等を用い、契約証書や委任状等に関雄の署名捺印を代行する形式で、契約及び登記手続を行った。右根抵当権についてはその後昭和六二年五月二一日に極度額が九〇〇〇万円に変更されたが、その変更契約及び変更登記手続も正次が右と同様の方法で関雄を代理して行った。

6  関雄は池袋信用組合との間で古くから取引があり、同信用組合の組合員総代を務めるほどの密接な関係にあった。そして、同信用組合は、有限会社千代元の主要取引先の一つでもあった。

7  正次は、平成元年八月のケーエム・シーガル設立後から池袋信用組合本店に対して経営資金の融資を申し込んでいたが、同信用組合は、融資枠の関係で自らは融資に応じられないとして、被告を紹介した。

被告東京支店の営業部長高橋勝弘(元平和相互銀行審査役、住友銀行営業融資部審査役等を経て被告に出向し、そのまま被告東京支店の営業担当総括部長となった。以下「高橋部長」という。)は、池袋信用組合本店長の佐野節夫や地引得意先課長らから、ケーエム・シーガル及び正次を紹介されるとともに、前原一家の家族構成や事業経営及び資産の状況、関雄が古くから池袋地区で飲食業、旅館業等を営み、池袋信用組合とはその開業当時から取引を続け、組合員総代を務めるなど、密接な関係にある人物であること、正次は関雄夫婦と同居してその面倒をみており、関雄から事業の一切を任されていて、その実権を握っていること、関雄は老齢のうえ入退院を繰り返しており、佐野本店長などが盆暮れの挨拶に行っても、仕事のことは一切正次に任せてあると言い、それ以外には同じ昔話を繰り返すだけの心身状況になっていることなどの説明を受けた。

その後、高橋部長は、佐野本店長らの立合いのもとに正次本人と面会し、ケーエム・シーガルの設立目的や融資金の使途等について聴取した。これに対し、正次は、ケーエム・シーガルの設立目的について、不動産取引が非常な活況を呈していた当時の経営状況に鑑み不動産取引を行うことを主たる目的とする旨説明し、融資金の使途については、右不動産取引の資金のほか、相続対策も考慮していずれ「千代元」の建物を賃貸ビルに改築したいと考えているが、有限会社千代元がいわゆるラブホテルの経営会社である関係上銀行融資を受け難いため、将来は右賃貸ビル建築資金の融資も受けたい旨述べた。

8  高橋部長は、更に巣鴨信用金庫池袋支店の融資課長とも接触して、事実調査を行った。その結果、同信用金庫は関雄及び有限会社千代元と取引関係があるが、関雄は事業運営の全権を正次に委任しており、ここ数年は関雄が自分で同支店に足を運んだことはないことが判明した。

そこで、高橋部長は、根抵当権設定の前提として本件不動産の鑑定評価を行うこととし、平成元年一一月末頃関雄の自宅に電話し、応対に出た原告に対し(当時関雄は入院中であった。)、ケーエム・シーガルへの融資の件を聞いているかどうか確認したところ、原告は、「仕事の関係はすべて正次に任せてある」旨述べ、担保設定のため近々鑑定士が自宅の写真をとりに赴く旨の高橋部長の発言に対しても、これを了承する旨の発言をした。

9  被告は内部稟議の結果ケーエム・シーガルへの融資を決定し、高橋部長は、取引約定書、金銭消費貸借契約証書、根抵当権設定契約証書、登記申請委任状等の必要書類を正次に交付して、関係者の署名捺印を求めたところ、正次は、前記のように、連帯保証人及び根抵当権設定者欄に関雄の住所氏名を自ら書き入れ、その各名下に関雄の実印を押捺して、完成した各書類を、本件不動産の登記済権利証、関雄の印鑑証明書等とともに、高橋部長に交付した。

右当時、関雄の実印はその自宅にある金庫の右登記済権利証などと一緒に保管されており、正次は、必要のある時には、随時これを持ち出して使用することができた。

10  なお、被告からケーエム・シーガルへの前記融資金は、不動産取引の事業資金に使用されたほか、一部は正次が自己の株式運用資金としても使用した。

二以上のように認められるところ、正次は、本件根抵当権の設定はもとよりケーエム・シーガルの設立についても関雄及び原告に無断で行ったものである旨証言しており、原告も同様の供述をしていたが、原告はその後これを訂正し、ケーエム・シーガルの設立については承知している旨供述するに至っているし、ケーエム・シーガルの発起人の一人で、設立後その監査役に就任した鈴木勝也は、有限会社千代元の顧問税理士をしていた人物であること(〈書証番号略〉、正次の証言)や、前記のようなケーエム・シーガルの設立目的等に照らしても、関雄や原告がケーエム・シーガル設立の事実を知らなかったとは到底考えられないところである。

また、正次は、本件根抵当権の設定が関雄に無断でされたものである旨を池袋信用組合の佐野本店長に話してあり、被告の高橋部長も当然そのことを知っている筈である旨証言しているが、そのようなことを金融機関が承知する筈がないことは、証人高橋勝弘の証言及び経験則に照らして明らかであって、正次の右証言は到底信用できない。

このような、正次及び原告の供述は、重要な部分において不自然かつ不合理な点があり、総じて信用性が薄いものとみるほかはない。

三前記認定の事実関係に照らすと、関雄は、既に老齢のうえ入退院を繰り返すようになったことなどから、家業である「千代元」の経営一切を正次に任せきりとしていたのであるし、ケーエム・シーガルの設立についても少なくとも相談にはあずかっていたと推認できるから、自己所有の本件不動産を必要に応じて有限会社千代元又はケーエム・シーガルの債務の担保として使用することをも含めて、包括的な代理権を正次に授与していたものと認める余地もあるけれども、そのように断定する決め手に欠けるため、当裁判所としては、そのような認定を下すについてはいささか躊躇を覚えざるを得ない。また、関雄がその明示の意思に基づいて委任状、実印、印鑑証明書及び本件不動産の登記済権利証を正次に交付したといえるかについても、その疑いはかなりあるとはいえ、これを積極的に認定できるだけの決め手に欠けるといわざるを得ないから、同様に、積極的な認定を差し控えたいと考える。

しかし、前記認定のとおり、関雄は、昭和六一年七月一五日本件不動産に巣鴨信用金庫のため根抵当権を設定して同信用金庫から融資を受けた際には、右融資手続及び根抵当権設定(並びにその変更登記)手続の一切を正次に委任し、正次が、関雄の実印、印鑑証明書、登記済権利証等を用いて、契約証書や委任状等に関雄の署名捺印を代行する形式で契約及び登記手続を行ったのであって、かかる事実と本件設定契約に至る前記認定のような経緯に照らすと、被告の高橋部長が正次に本件根抵当権設定についての関雄の代理権があると信じたことはまことにやむを得ないことであり、そのように信じるにつき正当な理由があったというべきである。この点について、原告は、関雄本人に対する確認を尽くさなかった点に過失がある旨主張するけれども、前記認定の事実関係のもとにおいては、被告として正次の代理権を疑うべき特段の事情があったとは認められないし、高橋部長が関雄の自宅に電話して一応確認措置をとっているのであるから、それ以上に関雄本人に面会して意思確認をすべき義務まではなかったというべきであり、原告の主張は失当というほかはない。

そうすると、本件設定契約は、表見代理の法理により、関雄について有効に効力を生じたというほかはなく、これに基づいてされた本件登記も有効なものであるから、その抹消登記手続を求める原告の本訴請求は理由がない。

(裁判官魚住庸夫)

別紙物件目録

一 所在 豊島区池袋二丁目

地番 一〇四三番二

地目 宅地

地積 17.95平方メートル

二 所在 豊島区池袋二丁目

地番 一〇四三番三

地目 宅地

地積 10.08平方メートル

三 所在 豊島区池袋二丁目

地番 一〇四三番四

地目 宅地

地積 107.96平方メートル

四 所在 豊島区池袋二丁目

地番 一〇四三番五

地目 宅地

地積 136.23平方メートル

五 所在 豊島区池袋二丁目一〇四三番地五、同番地四、同番地二

家屋番号一〇四三番五

種類 居宅

構造 木造瓦葺二階建

床面積

一階 89.38平方メートル

二階 47.72平方メートル

別紙登記目録

別紙物件目録記載の各土地及び建物について東京法務局豊島出張所平成元年一二月一九日受付第三五〇六五号をもってされた左記根抵当権設定登記

原因 平成元年一二月一九日設定

極度額 三億六〇〇〇万円

(平成二年三月一日受付第五〇五七号変更登記をもって四億三二〇〇万円に変更)

債権の範囲 金銭消費貸借取引・手形債権・小切手債権

債務者 株式会社ケーエム・シーガル

根抵当権者 いずみファイナンス株式会社

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